牙狼 ~蒼哭ノ魔竜~ 感想。
遅くなりましたが、感想です。
今までのシリーズとはかなり雰囲気の違った、というか、
ファンタジーというかメルヘンチックというか。
テレビCMはそんな感じでした。そもそも前作で、「ガジャリ様」が
鋼牙に課した「課題」は、そもそももっとバイオレンスだったはず
というか。
「守るもの」の話と言えばつながりますが、今回は
「人の手によって生まれたモノ」が捨てられて、忘れられて。
そして「込められた想い」だけがその結果積もり積もって
「付喪神」みたいになり、自分たちを捨てた「人」に復讐を
仕掛けてくるようになったものと、鋼牙は対峙する、というか。
「メルヘンによって守られてきた子供が、成長してメルヘンを守る
ものとなる。」の発展形になるのかと。ものをメルヘン、と言い切って
いいのかどうかはわかりませんが、「もの」の中に含まれると考えれば
いけるとして。
そもそも今回のラスボスである「ジュダル」さんの正体から憶測
されるに、言えるだろうと。
本当、前回までのR-15とは打って変わっての「メルヘンワールド」が
舞台です。まるで「オズの魔法使い」の登場人物である「カカシ」
がまんま、こちらにもいるのですから。
(しかも彼は、かなりソラ=グリフォンとかぶってる)
とにかく、映像や小道具の造形が雨宮氏、であります。
アクション自体は、後半に集中してると思われるのですが
「雨宮小道具が雨宮動きをする図」というのは、これだけで
「うん、雨宮」というか。
第一作で「絵本の最後のページは、白紙の未来」というメッセージは、
偶然ですが「スマプリ」にても、
「白紙の未来を黒く染めさせない!」と呼応しました。で、
その「スマプリ」では、
「メルヘンに守られた(育てられた)子供が成長して、今度は
メルヘンを守る側に立つ」が最終テーマ。今度は「蒼哭ノ魔竜」が
「モノに育てられた子供が、今度はモノの思いを守るために戦う」
だというし。
どちらも、『震災後に企画された作品』であることが共通してます。
どのように未来を、希望を持てばいいのか。、毛色の違う二作品が似たテーマなのは
偶然ではない、と思った次第です。
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» 今日の牙狼-GARO- 〜蒼哭ノ魔竜〜 -GARO SOUKOKU NO MARYU- [地下室で手記]
というわけで、牙狼の映画見てきました。
冴島鋼牙の最終章となるお話、テレビ本編2期の後の物語で、本編中でのガジャリとの契約を果たすために、嘆きの牙を持ちかえるために約束の地に向かうというもの。...... [続きを読む]
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